がんばれ!東北!地域情報「2013年10月」記事一覧

雨ニモマケズ、日本最大級の音楽祭!

2013年10月09日

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 2013年9月7日(土)、8日(日)に仙台市の秋の風物詩、「第23回定禅寺ストリートジャズフェスティバル in SENDAI」が開催されました。今年は両日ともにお天気が悪く、聴 衆も集まらないかと思いきや...どの会場も満員御礼!雨が降り出しても傘も差さずに音楽に聴き入り、雨脚が強くなるほど熱気が増して、観客が総立ちになるほど盛り上がりました。アーケード内に演奏場所を移したバンドも多く、商店街には音が響き渡り、大勢の人で前に進めないほどの賑わいとなりました。街中にあらゆるジャンルの音楽が溢れ誰もが楽しめる音楽祭ですが、一番の魅力は、市民ボランティアを中心に運営して出演者と観客と市民が協力して開催すること。初回は25組だった参加バンドが現在は700組以上にも増え日本最大級の音楽祭に成長したのも、人と人との繋がりが土台にあるからでしょう。

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 この日、賑わっていたのは仙台市街地だけではありません。日本全国から訪れた人々は、松島へも足を伸ばしたようです。仙台―松島間の電車も満員、五大堂へ向かう橋にも行列ができ、瑞巌寺や円通院にも大勢の人が訪れていました。ビニール傘を手にしながらも皆、松島観光を楽しんでいる様子でした。今年の定禅寺ストリートジャズフェスティバルのテーマは「音楽は無限大」、音楽には無限の力と可能性があるということです。定禅寺ストリートジャズフェスティバルは、雨さえも味方につけて人々に感動を与え、松島などの被災地にも活気をもたらす、まさに無限大の力があるのだと実感した2日間でした。

 
写真提供:仙台市観光交流課  記事:島崎聖子

復興のカタチ② ~岩手県・盛岡市~

2013年10月02日

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物資供給の中心となった岩手県盛岡市
 震災直後、岩手県三陸沿岸への物資供給に大きな役割を果たした岩手県盛岡市。新幹線、高速道路、ともに寸断されたため、海路で秋田県を経由しての輸送が続く中、沿岸各地へ必要とされる物資を運ぶ拠点となった。

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 そして、震災後すぐにその中心的役割を担ったのが「SAVE IWATE」。盛岡市役所向かいのビルを本拠とし、多岐にわたる支援を現在も続けている。特に震災から数か月間は、全国各地から寄せられた支援物資の分配・輸送、情報発信に大きく貢献。現在もイベントや物資販売など、多角的 な支援を続けている。

カタチを変える三陸復興
 前述の「SAVE IWATE」には県内外から、多くの人が支援に駆け付けた。その中のひとりが鈴木亮平さん。東京都出身の鈴木さんは、震災後の6月に初めて岩手県を訪れ支援を始める。その後、当時勤めていた会社を退職。生活の拠点を盛岡市に移し、「SAVE IWATE」の職員として、物資の受け入れ、配送の手配などを担当した。そんな彼に、当時から現在にいたるまでの復興について話を聞くと、「震災からしばらくの間は課題が見えやすかったんです。必要な事、物のニーズがわかりやすかった。時間が経つに連れ、それが少しぼんやりしてきたことで、ボランティアの人数の減少や、一部で言われる復興の遅れというものに影響しているのかなと思います。それから、被災地の方たちが自ら復興しようという自立心と、外部から来た団体の支援がうまくかみ合わなくて、相乗効果をもたらせていないと感じます」と話す。感謝の心を抱えながらも、一部の人たちの間には被災者と支援者という大きな壁がある。そういった側面もまた、被災地のリアルな現状なのだ。

宮城県仙台市にも遠征!
新たな復興のスタイルを模索
 これまでも多くのワークショップやイベントに携わってきた鈴木さん。しかし、「そういったイベントはもちろん必要な部分ですが、その中では本当の人間関係の構築は生まれません。もっと、時にはお酒を酌み交わすことだったり、1対1で対話することだったり、人同士の強い結びつきを得ることが必要です。それこそが復興のパワーとなり、スピードアップにつながると思います」と、一方で気持ちの面でのつながりも強調する。

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 今年2月、鈴木さんは勤務していた「SAVE IWATE」を一旦退職し、新たなスタイルでの支援を目指し、日々活動している。現在は盛岡市の委託事業である被災者用シェアハウスの管理を行う傍ら、様々な取り組みを企画中だ。中でも面白いのが「若手会議」と呼ばれる組織の結成。岩手県に住む20~30代のいわゆる若手を集め、「楽しいことをして岩手を盛り上げていこう」という理念のもと、イベント関係を中心に活動。メンバーは岩手県全域で20名ほど。職種も支援団体のスタッフから、役所勤務の人間など幅広く、その立場ならではのアイデアや人脈を生かした企画を出し合い、実現を目指している。これまでには、大船渡市の会場でプロレスのリングに若者数人を登場させ、そこで復興に関する議題などを本音でディベートするというイベントを実施。また同様に、登場する若手を女子に限定した「若手女子会議」も開催し、会場は大いに盛り上がった。また、今後は宮城県仙台市などで、岩手の若手×宮城の若手によるイベントも企画中。双方にとって刺激となり、着火剤としての働きに期待が寄せられる事業だ。

 一番パワーにあふれる若手が先導して復興につなげること。そして、世代や地域、人と人との垣根を少しでも取り払うこと。これらが少しずつ進むことで、より骨太で、よりスピーディーな復興が果たされるものと信じている。

 
(記事・写真/高橋拓磨)

亘理の「はらこ飯」が仙台で食べられる!

2013年10月02日

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秋、はらこ飯の季節が訪れました!仙台市本町にある「あら浜」には、旬の「はらこ飯」を味わおうと連日行列ができています。「あら浜」は「はらこ飯」の本場である宮城県亘理町で30年続いた名店ですが、東日本大震災による津波で閉店を余儀なくされ、2012年1月から仙台店で営業を再開しました。「当時は、もう店なんてできないと思いました。家も店も失い、あの状況ですぐにがんばろうと思えるほど強い人は、いないと思います」と店長の塚部慶人(ルビ:よしひと)さんは言います。避難所から仮設住宅へという不自由な生活の中、それでも再開を決意したのは、仙台三越店からの出店依頼や常連客の強い要望があったからです。「大変だったこと?何から何まで...ありすぎて話せない。体力的にも限界ですね(笑)」そう言いながらも、毎日詰めかける大勢の「あら浜」ファンのために腕を振るっている。ぷりっぷりのいくら、脂ののった鮭の切り身、そして噛みしめるほどに旨味が口に広がるご飯!祖父母の代から受け継がれてきた「はらこ飯」は健在です!「はらこ飯」は9月~2月中旬までの季節限定メニュー。期間中にぜひ、食べてみてください。

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旬魚・鮨の店 わたり あら浜
住所:宮城県仙台市青葉区本町1-10-15
電話:090-7071-9461


(記事・写真/島崎聖子)